【一宮市】対馬丸事件の漫画「今を生きるきみたちへ」が小中学生に配布されて1年。満開になった葵公園のカンヒザクラを見て思うこと。
葵公園に約1年半前から根を張っているカンヒザクラは、他の桜より一足先に満開の時期を迎えていました。
このカンヒザクラ、実は、令和3年10月14日に、平和への想いを後世に伝えるべく植樹された桜で、沖縄の対馬丸事件と深い関連があるのです。
■対馬丸事件
第二次世界大戦中の昭和19年8月22日、沖縄から疎開するため沢山の子供たちを乗せた「対馬丸」は、那覇から長崎へ向かう途中、鹿児島県沖でアメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没してしまいました。
この攻撃により、1,484名の乗船者が犠牲となり、多くの子供たちの命が奪われました。
翌年の昭和20年には、沖縄で唯一の地上戦が行われ、この戦闘で日本軍は9万人以上が亡くなり、そのうち約3千人が愛知県出身者だったとのことです。
その人々の霊を慰めようと沖縄を訪れたのが、一宮市丹陽町の「すずしろ子供会」会長、河合氏でした。
この続きは、以下の記事をご覧ください。
一宮ロータリークラブは、子供たちにも対馬丸事件のことを伝えていくため「今を生きるきみたちへ」という漫画を、今からちょうど1年前の3月に市内小学4年生以上と中学生を対象に配布しました。
【一宮市】ぜひ読んでみて。一宮市の小中学生に、対馬丸事件の漫画「今を生きるきみたちへ」が配布されました。市内図書館にもあります!
満開になったカンヒザクラにあわせて身近な小中学生にこの漫画のことを覚えているか伺ってみたところ、ほとんどの子供たちがもう忘れていたので、もう一度、この記事を通してその内容を伝えていけたらと思います。
ぜひ、一語一句逃さず読んでみてくださいね。
※この漫画は許可を頂き、掲載しております。
沖縄の対馬丸記念館にある「小桜の塔」のカンヒザクラも一宮市と同じように花を咲かせていたでしょうか。
この物語を改めて中学生に読んでもらい、感想を聞いてみると、「昔はそんなことがあったんだなぁ」「外国では戦争がいまだに起こっているよね」等々、戦争のことを真剣に考えるよいきっかけになったようでした。
この機会に、葵公園のカンヒザクラを見たら、対馬丸事件のことを思い出してみてくださいね。
ぼくらは、いまから70年以上前、戦争ばっかりの時代に生まれたんだ。
沖縄が危険になって、九州へ疎開しようとしたんだけど
そのとき乗った船「対馬丸」は、アメリカの潜水艦に攻撃されて
沈んでしまった。
海にほうりだされたお友達の中には、なんとか生きた子もいたけど
波にのまれて、力つきて、海の中へ沈んでしまった僕らのような子が
ほとんどだった。
ぼくたちは沈んでしまったあのときのまま、
今もきみの目の前に広がる海の中にいるんだ。
ぼくたちはどうして死ななくちゃいけなかったの?
ぼくたちは、なにか悪いことしたのかな。
ぼくらのような思いをする子が、もう二度とでないように、
今、ぼくらに約束してほしいんだ、平和に生きるって。
みんなは「平和」ってどんなものだと思う?
アイスクリームみたいに甘くて、おいしいものかな。
大切な友だちがいつもそばにいてくれること?
妹となかよく遊ぶことかな。
朝日にてらされながら学校に行って、
夕日にてらされながらお家にかえることかな。
好きな子に「ぼくも(わたしも)君がすきだよ」って
言ってもらったときかな。
君がその「平和」を感じているとき、
この地球にくらす、たくさんのほかの子たちは、
「平和」を感じているかな。
今でもまだ、世界では
戦争で多くの子たちが悲しい思いをしているのかな。
想像してみて。
今、ぼくらに約束してほしいんだ、
きみが、平和な地球をつくるって。
葵公園はこちら