【一宮市】令和3年10月14日、一宮ロータリークラブから「カンヒザクラ」が寄付されました。その大切な理由とは?
令和3年10月14日に一宮ロータリークラブから寄付された「カンヒザクラ」は、市制施行100周年を記念して、平和への想いを後世に伝えるべく、一宮市の葵公園に植樹されました。
どうして一宮市に「カンヒザクラ」が植えられたのか?
その理由を、今回の取材を通して知ることができましたので、皆さんにシェアしていきたいと思います。
■小桜の塔と一宮市
今年、一宮市と時を同じくして市制100周年を迎えた沖縄県那覇市には、「小桜の塔」という慰霊碑があります。
この「小桜の塔」は、愛知県丹陽村(現在の一宮市丹陽町)の「すずしろ子供会」会長、河合桂氏がきっかけで作られました。
■小桜の塔とは?
小桜の塔は、「対馬丸事件」により亡くなった子供たちのための慰霊碑です。
第二次世界大戦中の昭和19年8月22日、沖縄から疎開するため、沢山の子供たちを乗せた「対馬丸」は、那覇から長崎へ向かう途中、鹿児島県沖で、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没してしまいました。
この攻撃により、1,484名の乗船者が犠牲となり、多くの子供たちの命が奪われました。
■「すずしろ子供会」会長、河合桂氏が沖縄を訪れた理由
戦争中、日本国内で唯一、地上戦となった沖縄戦。日本軍は、9万人以上の方が亡くなりました。
そのうち、約3,000名が愛知県出身の方々だったそうです。河合氏は、その御霊を慰めるため沖縄を訪れました。
■子供のための慰霊碑がない
河合氏が沖縄を訪れた時、子供のための慰霊碑がないことに気づきます。
これをなんとかしたいとの思いから、河合氏は、当時の愛知県議会副議長である松浦浅吉氏に相談。
愛知県民に「一円募金」の寄付を募りました。
■昭和29年、子どもの日に
昭和29年5月5日、河合氏をはじめとする愛知県民の尽力により、沖縄県那覇市に「小桜の塔」が建立されました。
このことがきっかけで、対馬丸記念館の設立にも繋がっていったそうです。
■未来に伝えたい 平和への想い
対馬丸記念館敷地内の「小桜の塔」に咲くカンヒザクラを葵公園にも植樹することで、「市民の皆さんに広くこのことを知ってもらいたい」と、一宮ロータリークラブより、このたび寄付されました。
鍬入れ式と除幕式は、中野市長と一宮ロータリークラブの梯会長により行われました。
この場所に、カンヒザクラが植樹されたことを覚えておいてくださいね。
記念碑には、子供たちへのメッセージも込められています。
一宮ロータリークラブは、子供たちに今回のことを伝えていくため、市内の小中学生に「対馬丸」のマンガ(小冊子・現在制作中)を配布してくださるそうです。
※内容は、現在マンガとなっている「対馬丸」の後編にあたる部分。
※24,000部発行
ちなみに、マンガの制作は、鳥山明さんの初代アシスタントを務めたことで知られる、漫画家の田中久志さんに依頼されています。
田中久志さんは、一宮モーニングのキャラクター「ICHIMO(イチモ)」も制作されました。
マンガなどから、市内小中学生の皆さん、お父さん、お母さんも一緒に今回のことを学び、考え、未来へと想いを繋げていきましょう。
平和のありがたさ、沖縄で亡くなった子供たちのことが、一宮市でも感じられる場所ができました。
葵公園のカンヒザクラと記念碑を、一度見に行ってみてくださいね。
令和3年10月8日報道発表 「一宮ロータリークラブからサクラの木が寄付されます」のお知らせ|一宮市
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